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西宮の5mメッシュ(標高)データ

MapDxfMaker」というフリーウエアが公開されています。このソフトを使うと国土交通省が提供する国土数値情報や、国土地理院が提供する基盤地図情報などの地図データを合成し、DXF形式の地図を作成することができます。

かなり高機能なソフトなので、うまく使うと「MapDxfMaker」のサイトで紹介されているような地図が作成できるとのことですが、使いこなすのはなかなか難しそうです。まずは西宮の5mメッシュ(標高)データから段彩図を作成し、以前やったように太古の西宮の地形(西宮市史第一巻)や明治44年頃の詳細地図(西宮市のホームページ)とGoogle Earth上で重ね合わせてみました。

新規2

かつて武庫川から分流し、鳴尾の三角州を形成していた枝川の堤防の痕跡が微地形として浮かび上がっています。枝川は大正時代に武庫川の氾濫を防ぐ改良工事にともなって廃川となり、埋め立てられた土地は阪神電鉄などに売却され、その一部は甲子園としてスポーツ・レクリエーション施設や住宅地となりました。

新規

西宮の中心部です。今から2千年前~1千年前の西宮の地形は今とはまったく異なり、入り海が広田神社付近まで入り込んだ複雑な地形であったと推定されています。現在の標高データを見ても、古代の地形がわずかな色の違いとなってぼんやりと浮かび上がっているように感じます。

太古の入り海に突き出した半島状の島の部分には、灘の生一本には欠かせない宮水(酒造りのための地下水)を取水するため、酒造メーカーの井戸が集中しています。この宮水は夙川の伏流水や六甲山系の花崗岩層を通り抜けてきた地下水に塩分を含んだ海水などが絶妙にブレンドされ、日本酒造りに適した水となっていると言われています。

歩いているとかすかな起伏に気が付いたりすることがありますが、現代の地面はビルや鉄道、道路などさまざまな人工物に覆われていて、なかなかその全体像を把握することができません。しかし、航空レーザ測量による精密地盤高計測によってさまざまな場所の微地形をがかるようになり、その土地や都市の成因と関連付けて考えることができるようになって面白いですね♪

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SeaGate: 2011.5.29 | コメント (0) | トラックバック (0) | リンク (0) | ▲TOP

大阪・池田ツアー

先日、のりみさんプレゼンツの大阪・池田ツアーに妻娘とともに参加してきました。阪急宝塚線の池田駅を出発し、まず最初は向かったのは日清食品の「インスタントラーメン発明記念館」。館の前では、日清食品の創業者で、世界初のインスタントラーメンの開発者、安藤百福氏の銅像がお出迎え。

チキンラーメン開発当時の研究小屋を再現したジオラマや巨大カップヌードルの断面模型(^^ゞなどを見学...

娘が一番喜んだのは「マイカップヌードル・ファクトリー」 カップめんの製造工程がわかる体験工房で、自分でデザインしたカップにスープと具材を組み合わせ、自分だけのオリジナルの「カップヌードル」を作ることができます。ちなみに、味の組み合わせは5460通りになるとか。

最後に、お持ち帰り用のエアークッションバッグに入れたら出来上がり。これで1個300円。カップヌードルをスーパーで買う値段と比べるとかなり高いですが、滅多にないことだし、子供が喜ぶならまあいいか...(^^ゞ

そのあとは、2010年4月22日にオープンした「小林一三記念館」へ。阪急電鉄、阪急百貨店、東宝の創業者である小林一三の自邸「雅俗山荘)」を改装したもので、鉄道だけでなく住宅開発や宝塚歌劇、映画なども事業を展開した小林一三の足跡が当時の資料や写真、映像で紹介されています。

さすがにこちらは娘には退屈だったようで、もてあまし始めたので、みなさんとはここでお別れ。それでも池田は初めてだったので、とても興味深いツアーでした。

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SeaGate: 2010.6.13 | コメント (0) | トラックバック (0) | リンク (0) | ▲TOP

芦屋をお散歩


>> より大きな地図で 2010/05/02 Walking を表示

ゴールデンウィークは今までの不安定な天候が嘘のように好天に恵まれています。5月の陽気に誘われて、妻と二人でぶらぶら芦屋を散歩してきました♪

阪急芦屋川駅を降りて最初に向かったのは滴翠美術館(旧山口吉郎兵衛邸)。設計は大阪ガスビルディング大阪倶楽部などを手がけたことで知られる安井武雄で、旧三和銀行の前身である山口銀行頭取であった山口吉郎兵衛の住宅の一部を改装したものです。

美術館は春・秋季のみ開館で、現在は4月1日(木)から6月27日(日)まで、春季展「茶碗に添えて~茶入と茶杓~」が開催されていますが、公開されているのは屋敷の一部分で、また、周囲を住宅に囲まれ、残念ながら外観を一望することができませんでした。

次に訪れたのはヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)です。灘五郷の造り酒屋、櫻正宗の8代目当主、山邑太左衛門の別邸としてアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライトが設計した住宅で、芦屋の街並みを一望できる丘の傾斜面に建っています。

日本に完全な形で現存する唯一のライトが設計した建築物だそうで、大正時代以降の建造物として初めて、かつ、鉄筋コンクリート造の建築物として初めて国の重要文化財に指定されました。現在は淀川製鋼所迎賓館(ヨドコウ迎賓館)として一般公開されています。

旧山口吉郎兵衛邸は1932年竣工、旧山邑家住宅は1924年竣工で、ともに阪神間モダニズムを象徴する洋館の大邸宅です。当時、日本最大の経済都市となった大阪と東洋最大の港湾都市へと発展した神戸の経済力や勢いを今に感じさせてくれます。

その後は芦屋川沿いをぶらぶら南下し、芦屋川トンネルを見に。天井川である芦屋川の下に掘られたトンネルを、JR東海道本線が駆け抜けていきます。1874年、大阪-神戸間に鉄道が開通した際、堤防の高い芦屋川に橋を架けると急勾配になりすぎて蒸気機関車が登れないため、川の下にトンネルを掘って通す事にしたとのこと。

普段電車に乗っている時は頭上を川が流れているとは思いもしませんが、川岸とトンネルの出入口付近を眺めていると、どうにも不思議な感覚になります。芦屋川トンネルを堪能(^^ゞした後はランチなど頂いて、帰りはJR芦屋駅から西宮へと戻りました。

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SeaGate: 2010.5.3 | コメント (0) | トラックバック (0) | リンク (0) | ▲TOP

西宮まち歩きガイド

季節もよいので最近お散歩ネタが多いような気がします(^^ゞが、今回は西宮流(スタイル)のサイトで公開されている、四季のまち歩きガイドのイラストマップです。4つのエリアに分けた西宮のまち歩きコースを、それぞれのエリアのベストシーズンで紹介しています。春は「桜を愛でるまち(夙川~苦楽園~甲山)」、夏は「太陽が似合うまち(甲子園~鳴尾浜・西宮浜)」、秋は「芸術文化に触れるまち(西宮北口~甲東園)」、冬は「福が授かるまち(阪神西宮~酒蔵通り)」。こうやって見ると西宮もなかなか捨てたものではありませんね。(^^ゞ


春 桜を愛でるまち(夙川~苦楽園~甲山)


冬 福が授かるまち(阪神西宮~酒蔵通り)

上のイラストマップは、西宮酒ぐらルネサンスと食フェアの会場で、西宮商工会議所発行の「西宮まち歩きガイド」として100円で売っていた小冊子に掲載されていたものです。イラストマップと言っても、縮尺や道路などが妙にデフォルメされたものではなく、イラストも控えめなので私的には好印象でした。物欲しそうにしていたせいか、妻が買ってくれたのですが、Webにも掲載されていたとは...

西宮流(スタイル)のサイトでは、これも以前書いた、文学作品の舞台になった西宮のスポットを紹介する「西宮文学回廊」もあります。何だかちょっと見ないうちにずいぶんサイトが充実してますね♪ 西宮のあれやこれやが詰まっていて、自宅に帰る前にチェックしておくと便利です。東京と西宮の二重生活は大変ですが、魅力たっぷりの二つの都市をお散歩(^^ゞできるのは楽しみでもあります。

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SeaGate: 2009.10.27 | コメント (0) | トラックバック (0) | リンク (0) | ▲TOP

宮水井戸マップ(一応)完成


>> より大きな地図で 宮水井戸マップ を表示

下の記事で、「宮水井戸マップ」を作製中と書きましたが、Googleマップの航空写真とストリートビューで目星を付けた井戸らしきものが写っている場所を、実際に現地に行って見てきました。航空写真では井戸らしきものが写っているのに、もうすでに失われたり、放棄されてしまっているように見えるものもありました。

 沢の鶴

 菊正宗

 日本盛

 大関

 白鹿

いずれにせよ、酒造めメーカーの看板があがっていたり、外部から井戸であるとわかるものしかプロットできていませんが、一応わかる範囲は踏破したので、子どもの夏休みの自由研究の延長で始まった(^^ゞ 「宮水井戸マップ」はこれで一応完成といたします。上は、代表的な酒造メーカーの宮水井戸の写真です。もっとも、現在も実際に取水しているかどうかまでは確認できないのですが...

西宮酒ぐらルネサンスと食フェアでは、メイン会場の西宮神社(西宮えびす)に「宮水コーナー」が開設され、宮水の歴史や特徴、保全のための取り組みなどについて、「ミスター宮水」こと済川要先生とご子息の健先生がパネル展示とともにいろいろと説明していらっしゃいました。その中で印象に残ったのは、宮水は地下にたまった単なる水ではなく、六甲山系に降った雨が今も伏流水として流れ続ける、枯れることのない活きている水であるというお話でした。

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SeaGate: 2009.10.10 | コメント (0) | トラックバック (0) | リンク (0) | ▲TOP

西宮酒ぐらルネサンスと食フェア

兵庫県西宮市は、「宮水」と呼ばれる酒造りに適した地下水があり、灘の生一本で知られる阪神間の臨海部に点在する日本酒の生産地「灘五郷」のうち、「西宮郷」「今津郷」を有する古くから酒作りの盛んな街で、現在でも「大関」「日本盛」「白鹿」「白鷹」など、数多くの酒造メーカーの工場が立地しています。

その西宮で、10月3日(土)、10月4日(日)の2日間、「第13回西宮酒ぐらルネサンスと食フェア」が開催されています。新酒の仕込みが始まるこの時期にあわせて開かれるイベントで、阪神淡路大震災の復興を願って始められました。日本酒メーカーだけでなく、スイーツの街・西宮の洋菓子店、伊藤ハムやアサヒビール西宮工場、阪神・阪急電車など、西宮ゆかりの企業も多数協賛しています。

 
甲子園口商店街のイメージキャラクター「コウちゃん」(右)

メイン会場の西宮神社(西宮えびす)では、宮水まつりや酒醸造祈願祭が行われ、1月10日の本戎の「開門神事福男選び」の際、男たちが参拝一番乗りを目指して全速力で駆け抜ける参道には、日本酒の試飲会や各種屋台村などが立ち並び、境内には日本酒の香りが漂っています。また、西宮神社以外の各酒造メーカーの工場や博物館、レストランなどのサテライト会場でもイベントが行われ、無料のループバスが各会場を結んでいます。

大都市のイベントに比べればそれほど大きな規模ではないけれど、全国的に有名な西宮の旨酒を味わい、名物を食し、戎の宮に多くの人が集うとても楽しいイベントです♪ 阪神甲子園球場福男選びのように、東京のマスコミにも取り上げられるような西宮を代表するイベントになるといいなぁ...

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SeaGate: 2009.10.3 | コメント (0) | トラックバック (0) | リンク (0) | ▲TOP

昔西宮名所独案内

西宮市立郷土資料館の片隅に、昭和初期頃までの広田神社、西宮神社、神呪寺などの社寺や甲陽園、苦楽園、香櫨園、甲子園などの近代西宮で開発された娯楽場、遊園地、別荘地の絵ハガキなどが掲載された、第18回特別展「昔西宮名所独案内」の図録が置いてあります。残念ながらこの展覧会自体は見ていないのですが、ずっとこの図録を近くで眺めたいと思っていたところ、西宮市立郷土資料館のホームページでPDFファイルとして公開されていることに気づきました。

以下の写真はその中からの引用ですが、古くから西国街道の宿場町や門前町などとして栄えた西宮市内中心部とは別に、周辺部では明治・大正期にかけて大阪・神戸の郊外型リゾート地域および郊外の高級邸宅街として発達し、甲子園、昭和園、甲風園、甲東園、甲陽園、苦楽園、香櫨園など地名に「園」のつく西宮七園が鉄道会社などによって開発され、遊園地、温泉、ホテル、劇場、映画スタジオ、ウォーターシュート、海水浴場、メリーゴーランド、博物館、動物園、音楽堂、野球場などなど、さまざまな娯楽施設なども設けられました。

これらの施設は明治・大正から昭和初期の近代化の黎明期に阪神間で沸き起こったいわゆる「阪神間モダニズム」によって設けられたものですが、昭和初期頃まで大阪・神戸が東京など他の都市よりもいかに経済的に勢いがあったかを物語っています。実際、その頃東京進出を果たした関西企業は関東経済や日本経済を席巻してしまいます。もっとも、戦後の経済政策などによって、政治面のみならず東西都市圏の経済的な力関係は完全に逆転し、今では多くの企業が本社を東京に移してしまいました。

甲陽園

 甲陽園甲陽劇場

 甲陽園大辷り

 甲陽公園 遊技場 自動遊動木馬

香櫨園

 香櫨園入口

 瀬戸内海水浴場(夏季の涼味)

 香櫨園ウヲタシュト

甲子園

 甲子園ホテル

 満員の阪神甲子園球場

 甲子園野球大会絵葉書 野球塔

これらの施設の大半はもうすでになく、私立高校や大学を中心とした文教地区や住宅街になっています。水質悪化でもう泳ぐことのできなくなった香櫨園浜などを眺めるにつけ、当時のモダンでハイカラな西宮はどんなだったろうと想わずにはいられません。

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SeaGate: 2009.9.13 | コメント (0) | トラックバック (0) | リンク (0) | ▲TOP

越水井戸

下の記事で、越水山遺跡・越水城跡などを、Google Earth上にプロットして見ました。越水という地名は「小清水」の当て字ともいわれ、この地域には昔から六甲山系の良質な地下水が湧き出ており、平安時代から西国街道を旅する人の喉を潤してきたとのこと。

ところで、現在は国道171号線がほぼ西国街道に並行するような形で京都-西宮間を結んでいるのですが、現在の国道171号線が越水の手前から札場筋を南に下って国道2号線(中国街道・浜街道)につながっているのに対し、もとの西国街道は17世紀頃まで越水から森具までほぼまっすぐに通っていたようです。(参考: 広田村から打出村への本街道)

上の写真が越水(小清水)の地名の由来ともなった越水井戸の一つ(西所)です。鍵付きの小屋が設けられ、普段は直接井戸を目にすることができませんが、中をのぞくと今でもコンコンと清水が湧き出しているようです。越水井戸はもともと西所(にしんじょ)、中所(なかんじょ)、東所(ひがしんじょ)の3ヶ所あったそうですが、マンション建設などにより中所は失われてしまいました。


>> より大きな地図で 越水城址 を表示

越水城があった高台には住宅やマンションが立ち並び、当時の手掛かりとなるものは何も残されていません。しかし、現在の高台に登る坂道や階段にも趣のあるものが多く、越水城の推定城郭部分や越水井戸、周辺の風景などを添えて、Googleマップで「越水城址」マイマップを作製してまとめといたします。(^^ゞ

2009/10/10 追記

後日、越水井戸の東所(ひがしんじょ)も見つけました。もっとも、私が見つける前からずっとそこにあったわけですが。井戸の中では金魚が悠々と泳いでいました。(^^ゞ どちらの井戸も今は多数の住宅に取り囲まれているわけですが、曲がりくねった細い道路の台地の縁にあって、西国街道の途中にあった昔の越水村はどのような姿だったろうとか想いをはせました。

2010/8/15 追記

ぽっつくんに、マンション建設などにより失われたという中所(なかんじょ)の跡を教えてもらいました。民家脇の路地の奥の方にあって近くこともできそうだったのですが、勝手に入るのがためらわれたので、機会があれば現況がどうなっているのか見てみたいです。しかし、崖の上には大きなマンションがたっているので、枯れてしまっているのかもしれませんね。

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SeaGate: 2009.9.6 | コメント (2) | トラックバック (0) | リンク (0) | ▲TOP

越水城址

下の記事で、GoogleマップGoogle Earthに宮水井戸の位置と西宮市史第一巻の太古の西宮の地形を重ね合わせてみました。すると、今度は越水付近に北から南に向かって舌のように伸びる丘の先端が、自宅の近くにある西田公園付近にまで達しているのが気になりました。

この辺りが少し小高い丘になっていることはわかっていましたが、現在は住宅が建ち並び、なかなか全体の地形を把握することができません。で、今度は西宮市のホームページで公開されている明治44年頃の詳細地図を、Google Earthに重ね合わせてみたところ、宅地開発される前の越水付近の地形が浮かび上がってきました。

西田公園の北にある大社小学校の南東隅には越水城址碑と案内板があります。越水城は小清水城または腰水城とも言われ、永正十三年(1516)に瓦林正頼が築いた城です。この地は西国街道の要衝で、水にも恵まれた築城の適地であったため、一説には越水城には天守閣もあり、外城を備え、西宮には城下町のような雰囲気があったとも言われています。

今度は、西宮市埋蔵文化財遺跡分布地図に示されている越水山遺跡・越水城跡を、Google Earth上にプロットしてみました。城郭の範囲は正確にはわかりませんが、地形から見て西田公園がその南端に位置していることは間違いなさそうです。

現在は、宅地開発などによって越水城は跡かたもありませんので、城郭が家の近くに存在していたとは知りませんでした。城主であった瓦林正頼の理想の通り、華麗な天守と立派な城郭を持った越水城の元に大きな城下町が発展していたとしたら、今日の西宮はどのような街になっていたでしょうか?

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SeaGate: 2009.9.3 | コメント (2) | トラックバック (0) | リンク (0) | ▲TOP

西宮の太古の地形と宮水井戸

下の記事で、宮水井戸の位置をGoogleマップGoogle Earthにプロットしてみましたが、宮水は、夙川の伏流水や六甲山系の花崗岩層を通り抜けてきた地下水、塩分を含んだ海水などが絶妙にブレンドされ、硬度が高く、リンやカリを始めとしたミネラル分が豊富で、鉄分が極めて少ない日本酒造りに適した水となっていると言われています。

今から2千年前~1千年前の西宮の地形は今とはまったく異なり、入り海が広田神社付近まで入り込んだ複雑な地形であったと推定されています。この入り海も、平安時代頃から夙川や東川などの運ぶ土砂が堆積し、やがて埋め立てられて現在の西宮市のような姿となっていきます。

で、Google Earth宮水井戸マップと西宮市史第一巻の太古の西宮の地形を重ね合わせてみました。下の記事でプロットした第1次~第3次の宮水井戸が、入り海に突き出した半島状の島の部分に集中して存在しています。かつて入り海だった地層を水が流れることによって、宮水には海の成分であるミネラルが豊富に含まれ、また、酸素の多く含まれる伏流水の影響で、鉄分が除去されるようです。

宮水にはまだまだ解明されていなことも数多くありますが、灘の日本酒造りに欠かせない宮水が、太古の西宮の地形によって極めて絶妙なバランスで醸成されているというのは非常に面白いと思います。

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SeaGate: 2009.8.31 | コメント (0) | トラックバック (0) | リンク (0) | ▲TOP
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