越水城址
[ 西宮ライフ ]
下の記事で、Googleマップ、Google Earthに宮水井戸の位置と西宮市史第一巻の太古の西宮の地形を重ね合わせてみました。すると、今度は越水付近に北から南に向かって舌のように伸びる丘の先端が、自宅の近くにある西田公園付近にまで達しているのが気になりました。
この辺りが少し小高い丘になっていることはわかっていましたが、現在は住宅が建ち並び、なかなか全体の地形を把握することができません。で、今度は西宮市のホームページで公開されている明治44年頃の詳細地図を、Google Earthに重ね合わせてみたところ、宅地開発される前の越水付近の地形が浮かび上がってきました。
西田公園の北にある大社小学校の南東隅には越水城址碑と案内板があります。越水城は小清水城または腰水城とも言われ、永正十三年(1516)に瓦林正頼が築いた城です。この地は西国街道の要衝で、水にも恵まれた築城の適地であったため、一説には越水城には天守閣もあり、外城を備え、西宮には城下町のような雰囲気があったとも言われています。
今度は、西宮市埋蔵文化財遺跡分布地図に示されている越水山遺跡・越水城跡を、Google Earth上にプロットしてみました。城郭の範囲は正確にはわかりませんが、地形から見て西田公園がその南端に位置していることは間違いなさそうです。
現在は、宅地開発などによって越水城は跡かたもありませんので、城郭が家の近くに存在していたとは知りませんでした。城主であった瓦林正頼の理想の通り、華麗な天守と立派な城郭を持った越水城の元に大きな城下町が発展していたとしたら、今日の西宮はどのような街になっていたでしょうか?
Comments: (2)
皐月: 2009.9.6 09:53:05 |
近いところにお城があったんだね。西田公園の地形や鬱蒼とした木々などは当時の名残でしょうか、それとも公園として整備されたのでしょうか、いずれにしても興味深いね。 |
SeaGate: 11:49:09 |
当時の物は全く残されていないので、大半は公園として整備されたものだと思います。だた、もともとちょっとした小山だったそうで、家の近くの公園がお城だったと思うとロマンを感じます。(^^ゞ |
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