越水井戸
下の記事で、越水山遺跡・越水城跡などを、Google Earth上にプロットして見ました。越水という地名は「小清水」の当て字ともいわれ、この地域には昔から六甲山系の良質な地下水が湧き出ており、平安時代から西国街道を旅する人の喉を潤してきたとのこと。
ところで、現在は国道171号線がほぼ西国街道に並行するような形で京都-西宮間を結んでいるのですが、現在の国道171号線が越水の手前から札場筋を南に下って国道2号線(中国街道・浜街道)につながっているのに対し、もとの西国街道は17世紀頃まで越水から森具までほぼまっすぐに通っていたようです。(参考: 広田村から打出村への本街道)
上の写真が越水(小清水)の地名の由来ともなった越水井戸の一つ(西所)です。鍵付きの小屋が設けられ、普段は直接井戸を目にすることができませんが、中をのぞくと今でもコンコンと清水が湧き出しているようです。越水井戸はもともと西所(にしんじょ)、中所(なかんじょ)、東所(ひがしんじょ)の3ヶ所あったそうですが、マンション建設などにより中所は失われてしまいました。
>> より大きな地図で 越水城址 を表示
越水城があった高台には住宅やマンションが立ち並び、当時の手掛かりとなるものは何も残されていません。しかし、現在の高台に登る坂道や階段にも趣のあるものが多く、越水城の推定城郭部分や越水井戸、周辺の風景などを添えて、Googleマップで「越水城址」マイマップを作製してまとめといたします。(^^ゞ
2009/10/10 追記
後日、越水井戸の東所(ひがしんじょ)も見つけました。もっとも、私が見つける前からずっとそこにあったわけですが。井戸の中では金魚が悠々と泳いでいました。(^^ゞ どちらの井戸も今は多数の住宅に取り囲まれているわけですが、曲がりくねった細い道路の台地の縁にあって、西国街道の途中にあった昔の越水村はどのような姿だったろうとか想いをはせました。
2010/8/15 追記
ぽっつくんに、マンション建設などにより失われたという中所(なかんじょ)の跡を教えてもらいました。民家脇の路地の奥の方にあって近くこともできそうだったのですが、勝手に入るのがためらわれたので、機会があれば現況がどうなっているのか見てみたいです。しかし、崖の上には大きなマンションがたっているので、枯れてしまっているのかもしれませんね。
Comments: (2)
Trackback:
http://pub.ne.jp/tb.php/2400861
まずはそれほどたいしたことなくて、よかったね。